たちばな会沿革

母校創立10周年を迎えた昭和45年10月に多くの卒業生から、卒業後の動向を記した名簿を作製してはどうかという声が高まり、卒業生有志(特に第1回生)と教職員の手により母校創立10周年記念として卒業生名簿の作製が始まった。これが同窓会発足の礎となる。名簿作製作業に携わった卒業生有志から、同窓会設立の機運が高まり同窓会は発足した。当時は同窓会事務局もなく在校生の下校後、慣れ親しんだ教室や図書室に仕事の帰りに集まり、夜遅くまで名簿作製業務と共に同窓会組織の確立の話題に明け暮れた。もちろん組織的なものではなく、集まることができた有志で活動する日々が続いたが、ともすればお互いの生活の不安な事柄や会社での愚痴などもあった。

転機は昭和53年10月11日に同窓会総会準備委員会を母校図書室にて開催した際に、常任役員及び会則等同窓会運営組織の基盤が成立したことである。そして昭和53年11月3日に記念すべき第1回総会を母校体育館で開催し恩師・卒業生約100名が参加した。同窓会設立が8年前の秋の良き日であったことや会則により総会を秋に開催することになる。次年度からの総会は母校東隣の東別院青少年会館にて開催され、昭和60年まで同会館で行われることになる。昭和60年2月には水野恒治理事長の計らいにより待望の同窓会事務局が母校内に設置された。母校創立25周年記念行事開催に向けての同窓会役員諸氏と理事長らの協議が始まった。母校創立25周年記念事業は昭和59年11月の第4回総会議事にて発案された。昭和59年12月には準備委員会が発足し具体案が提出され、さらにその機運は高まった。母校創立25周年記念事業実行委員会が母校・保護者会・同窓会の三者で組織化され実行委員長は同窓会の落合氏(第1回生)が務めた。実行委員会は母校および同窓会事務局を拠点に毎夜10名ほどの同窓会役員と実行委員が電話やダイレクトメール等による同窓会会員の動向調査と共に記念事業への協力呼びかけを繰り返し行ったところ、昭和61年9月の第6回総会には参加者200名を数えるほどの盛大なものとなった。これにより役員一同、一層同窓会確立に励むことができた。その間、初の会誌「とうこう」を発行し、昭和61年11月16日に母校創立25周年記念行事を盛大に開催することができた。記念誌と記念名簿の発刊には協賛企業200社の大きな支援があった。母校創立25周年記念事業の成功により、同窓会の基盤は確立し発展期を迎えることになる。定期総会の毎年の実施、定期的な役員改選、毎月1回の常任役員会実施などが新たに進められた。平成23年度には同窓会は設立40周年を迎えることができたが、会員名簿も5冊、会誌も10号発行した。近年はホームページでの案内となっており少しずつではあるがホームページの充実を行っている。設立27年目からは総会会場を交通至便な名駅近郊のホテルで開催し、近年は議事・懇親会に加え演奏会や講演会も催し、常に100名ほどの参加者と多くの会員の委任状も得られ、安定した活気のある同窓会運営が行われている。特に総会での母校マーチングバンド部生徒の演技・演奏は会員にとって後輩たちの頼もしい姿が見られ好評である。そして、母校マーチングバンド部とスピリットファイターチームによる年始開催のスピリットコンサートは総会での会員総意により第2回より同窓会協賛事業となった。

平成23年9月には同窓会設立40周年記念総会を盛大に開催でき、それまで東海工業高等学校1回生から37回生、愛知産業大学工業高等学校38回生~の同窓会を総会にて総称『たちばな会』と改めた。また母校創立50周年記念事業に協賛し、平成23年11月に盛大に記念行事が実施された。記念誌となる「母校50年史」編さんには会員の方々の情報をもとに発刊することができた。若い会員を対象に幹事会を毎年開催し、最近では1回生から8回生で定年を迎えたこともあり母校への愛着も増し、回生ごとの同窓会やクラス会として食事会や旅行が開催されホームページでの報告を検討している。

平成24年度からは「たちばな会」として会員総数2万3千余名の心の拠り所として新たな確立を目指している。

平成25年1月11日

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