トピックス

修学旅行の思い出−思い出2005年

T・Uさん(第2回生)

5月11日、午後6時名古屋駅の銀の柱の前に集合とのことだった。
6時にはもうだいぶ来ていた。
これが高校生活最大の喜びである修学旅行の出発前の状態である。
みんなの顔には喜びがかくしきれない。
7時にプラットホームに出た。
中央線が事故の為に遅れているのでまだ数名の者は来ていない。
7時45分列車に乗るが中央線が遅れているために7分程度遅れて発車した。
席は一対ごとに1班ごとにわかれた。
8時7分ようやく発車のベルが鳴りひびいた。
この時が一番旅情がわくと聞いていたが本当にそうだ。
社内でトランプをする班、歌をうたう班、ラジオにスイッチを入れる班、本を読み始める人、本当に人はさまざまだ。
もう寝る用意をしている人もいる。
そんな事をしていたらもう京都に到着である。
この駅で京都発広島行に乗換える為に1度降りた。
1時間であったがすぐ過ぎてしまった。
11時5分京都駅を出発、汽車は一路広島へ向かった。
車内では乗車してすぐに翌日の朝食を与えられ寝る人が多くなって来た。
でも体の位置が定まらずに寝れなくてこまっている人もいたがみんな何とか寝たようだ。
12日朝4時30分頃数名の者が目をさまして車内をふらつき始め中にはもう洗面を済まして食事を取り始めた者もいる。
6時51分広島に到着した。
それからはバスに乗って秋吉台まで行くのだからバスに乗ってしまえばもう一安心、乗ったバスは2号車でガイドはよく笑う人であった。
市内を見学するけれどもバスの中からだ。
県庁、広島城、球場それから平和公園内の原爆ドームなどを横目で見ながら宮島へとバスは進んだ。
7時50分には宮島口に着いて船に乗った。
向こうの方に宮島の鳥居がきれいに見えて来た。
船を降りて鳥居の前で写真をとる。
バスの中でガイドが安芸の宮島と云ったのを秋とまちがえ春の宮島と言いかえして説明してもらってなんだそうかと云う訳で1つリコウになって帰って来た。
しかし厳島神社位美しい神社はないであろう。
早く早くとせかされ船に乗りふたたび宮島口に向かった。
続いて錦帯橋へと向かうが、朝早く食事をしたためにもう食事が欲しくなった。
10時45分錦帯橋に到着、ここでもやはり写真を写して食事をして今度は一路秋吉台へ、その間車内で楽しく遊んだが寝ている人もいくらかいた。
14時30分頃秋芳洞に到着。入口附近で写真を写して中に入った。
しかし自然の雄大さで驚かされた。
中は100枚皿とか大黒柱金柱などを見学、それに広く長いので又びっくりした。
やっと外に出て秋吉台にて少しやすんだが、今度は今夜泊まることになっている旅館へとバスは急ぐ。
これが16時30分頃であった。
17時30分に湯田の松政旅館に到着、すぐ入浴、食事、その後9時まで外出してもよいと云ったがあまり見学する所がなく又すぐ旅館に帰りトランプをして遊んだ。
朝5時に起床、食事を済ませて6時30分位山口市営バスで小郡まで約40分間、7時21分発の門司行に乗車、小学校の修学旅行と同じ列車だった。
下関で20分間停車して関門トンネルをぬけた。
いよいよ九州に入った。
駅は出来上がったばかりなのですごくきれいだった。
40分位待っていたがすぐ時間がたってしまった。
11時45分準急に乗って一路長崎へ出発、車内ではやはり遊んだり眠ったりしていた。
14時40分到着、駅を出て県営バスに乗って市内見学を行なった。
平和公園、浦上天主堂、原爆中心地などを見て廻り文化会館内を見学した。
特に文化会館には原爆の資料が展示されており見る物見る物にびっくりした。
時計が11時5分位を全部指して止まっていた。
今想像するだけでもすごい。
そんな気持で文化会館を出て6時十分次の目的地であるグラバー邸へ行く。
途中車内より片足の鳥居を見てにぎやかな通りを通って大浦天主堂へ向かった。
17時5分グラバー邸を後にしてバスは出発し公会堂を見ながら日見トンネルを通りぬけて今夜の旅館伊勢屋に到着したのは19時頃であった。
前は海で静かな所だった。
裏は店が並んでいた。少し歩いて9時に旅館へ帰った。
翌日14日昨日と同じ会社のバスで雲仙へロマンスカーブを通って向かった。
雲仙にて記念撮影をし、地獄めぐりをするが、ここの臭いが何ともいやでしかたがなかった。
やっと出たのが8時57分、仁田峠へ行く途中にはひの木林が道の両側に続いていて林の中には「しいたけ」の栽培がしてあった。
そんな静かな中をバスは仁田峠へと進んで行った。
仁田峠では1時間位の休みがあり美しい風景を思う存分楽しんで来た。
又そこにはロープウェイがあり乗って上に行くとすばらしいとガイドさんが言ったが少し霧がかかっていた。
これがなければもっと遠くまで見えるらしい。
十分遊んでこれより島原へ行く。
10時28分出発して11時40分到着、そこでこのバスとも別れなければならないがこのバスガイドが一番あとまで印象に残るだろう。
それは船が出る時にテープをもらってあの待つ間、あれが一番いやな気持だ。
そして出航してテープが美しく長くのびて行く。
手を振るバスガイド、だんだん小さくなって行く。
もう見えなくなってしまった。
船の名は水光丸だ。12時30分船内で昼食をとった。
13時40分3角着、今度は亀ノ井バスにて熊本へ。
九州横断観光道路か何か知らんがずいぶんひどい道だった。砂けむりにて窓は開けない状態だった。15時熊本城に到着。
やっとバスを降り見学、すぐ又バスに乗った。見るひまもない。水前寺公園に着く。15時12分、大きな庭で東海道53次が表わしてあるそうだ。
本当に富士の形をした山があった。
1回見学して車にもどって再びひどい道を坊中へ行く。
16時30分発車して17時59分到着した。
駅の前であってもあまり店もなく静かな町であった。
しかたがないからホテルの売店で物を買ったりした。
15日、7時52分先日と同じバスでホテルを出発、いよいよ阿蘇に向かった。
8時30分山頂の途中で車をおりて山男のガイドさんにつれられて山頂へ向かった。
山には避難所が9つ位もあって事故を最小限に縮めている。
噴火口はすごく大きい。活火山を見るのは初めてだった。
9時50分阿蘇を元来た道を下って行った。
途中竹田で昼食。
そこから荒城の月でおなじみの岡城を見ながらあいかわらず悪い道を別府へ、15時25分別府地獄めぐりへ到着した。
海地獄、坊主地獄等を見て17時別府港へ向かった。
そこで30分位休憩した。17時50分乗船、ふたば丸に乗った。
船底であるためにすぐ甲板に上がった。
船には帝国女子の学生と同じであったが両方同時に甲板に出すことをしない。
しかし夕食を食べて9時までの間はみんな出て来た。
後は部屋に入って寝たがなかなか寝なかった。
翌日16日、6時30分朝食を取ってから又神戸に到着するまで甲板で遊んだ。
9時20分神戸港に着く。
そこから元町駅まで歩いて行かなければならない。
もうだいぶ疲れたためノロノロ歩いて行った。
元町駅を10時12分に出て、大阪で乗換えをして又来た時と同じ比叡2号に乗り名古屋へ向かった。
途中車内では来る時に見た物が見えるのを楽しんだり、トランプをしたりしていたがもうみんな何もする気が起こらないのだろうか、あまり歩き廻る人もいなくなって車内は静かであった。
14時5分無事名古屋へ到着した。
修学旅行の間毎日好天気にめぐまれ、楽しく過ごせてよかったと思う。もう一度同じコースでバスで行ってみたいなと思う。

(1964年文芸部冊子より抜粋)

▲ このページの先頭にもどる